MY COLLARS"

様々な人や場所と出会って見つけたメッセージと経験を発信

社会ジンってなあに?


はじめまして。


はじめてのブログ。初めての投稿です。


自由に生きることを追い求め、旅人になることを夢見るおひなです。


私は去年の3月に大学を卒業して、今年社会人一年目を終えました。



ところで、「社会人」ってなあに・・・?



素朴な疑問その1です。


高校生までは何も考えずに地元の“学生”としてやってきて、


大学は自分で選んだ場所であったけれどやっぱり“学生”としての


名誉がきっちりと与えられていて、


そこを離れ、社会という曖昧な煙の中に放り込まれて


私は突然「社会人」という名を背負うことになった。



社会人・・・。(?)



社会の中で活躍する人、


お金を稼ぐ人、またもや生み出す人、


常識をわきまえた人、


自立した一人の大人・・・?


色々定義はあると思うけれど、


社会人というものがどういうものであるべきか


私には謎であった。



それよりも、自由人でありたい。笑



そんな淡い気持ちを抱いている大人になりきれない私だ。


就活レールから外れる




大学三年生の冬、周りは一気に就活モードになった。


スーツ姿で学校にやってくる友人、


企業の説明会や合同説明会、大量の会社のデータや資料、


メールで回ってくる就活ナビ…。



「何か・・・違うぞ??」



私の心は直感した。


自分の道はここでは見つからない!という叫びが


確かに心の中で騒いでいたのだ。



もちろん、就活は有難い。


いくつも選択肢が与えられ、キャリアセンターや人材会社は好意的に


進路を探すことに協力してくれる。


そんなふうに肯定することがたくさんある。


だけれど、私はこの「何か・・・違うぞ??」という


ココロからの声を無視したくなかった。



そしてレールを外れた。


何も分からぬままに。


どうやって進むのかも定まってない状態で。


ただココロの声だけを信じて・・・。


自分を縛っていた紐が解け、


何が起こるか未知である煙の中に投げ出された。


世間ってこういうもの


大学を卒業して、私はフリーになった。


世間からの言葉だと、フリーターとかニートとか…?


まさか自分がこうなるとは大学時代思ってもみなかった!


申し訳ないけれどそういう人たちを少し見くびっていた時もあった。


でも自分がそうなってみた。



社会の中ではいつだって、


何かに申し込むとき、ビザを取る時、署名をするとき


人と会う時、自己紹介の時、


自分が「何者」であるのか説明することが求められる。


これまでであったら「〇〇大学で〇〇を勉強しています。」


でよかったが、そうはいかなくなった。



「えっと、今はアルバイトをしています…。夢を追いかけて生きていますっ!」



なんて立場の弱い発言。。。


夢に希望に好奇心。


そういう言葉を言うことが大人になるとなかなか恥ずかしいと思ってしまうのは


世間は学歴や仕事や収入の話を呑み込みたいと期待しているからだった。




こんなことがあった。


現役の大学生数人と超有名な教授とのお食事会に


何故か私は誘っていただいた。


その時その教授から、


「君は一体何をしているの?」


と聞かれる。


私は上手く答えられないけど、素直に現状を伝える。


「え、親御さんは何も言ってこないの?」


その時教授の顔は曇り、それ以上質問をしてこなかった。


そして最後にアドバイスをしてくれた。
(ちゃんと働くための?でもちゃんとって何?)



多くの大人は自分勝手な解釈によって


一人の人を既定のカテゴリーの中で判断する。


説明するほうも、


尋ねるほうも、


お互い共感点を探すのに苦労する。


だけれどそれが人を知るってことで面白いって思う。



自分でレールを作りたければ、


世間からの声や一般常識を気にしないことに慣れていくしかない。


そんなことをこの一年間は嫌になるほど痛感した。


会社員へのイメージ


正規で働く会社員のイメージってこんな感じ↓


・週5勤務 
・役職が与えられる
・残業
・給料、保険等の保障
・社会的名誉
・利益、収入、評価
・会社を背負う一員
・上司と部下、同期、取引先というような人間関係
・夜は飲み会、飲みにケーション
・休日は娯楽施設
・満員電車通勤 などなど



飲みにケーションも組織社会も苦手な自分…。


給料日を楽しみにして働きたくないマインド…。


大企業とかネームバリューとか興味ナシ…。



そしてこの本は私に最大の気づきを与えてくれた大好きな小説。


嫌々と仕方がないように働くくらいなら


辞めてしまえばいい!


だけど、それが簡単にできない。


というサラリーマンの憂鬱とそこからの変化の物語。


ぜひ会社員になる選択ししか見えていない学生さんや現状に悩んでいる


サラリーマンさんたちなどに読んでほしい。



大学時代に就活にワクワクを全く感じなかった理由は


こういうイメージにあったのだと思う。


これは悪いとかいいとかっていう問題ではなく、


単に自分自身に合わない生き方であったというだけだ。



結局、いつでもワクワクすることが、本当にいきたいところなんだ。


自由人という選択肢


よくわからぬ社会人という枠に入るのが嫌だ。



縛られずに自由に生きたいんだ!!!



という子供じみた考えを捨てられない。


だけど、自由であり続けることなんて不可能ということも分かってはいる。


結局は何らかの制約があっての自由なんだ。



だけど、フリーになることを選択したことで


全く違う生き方が見えてきたのも事実。



まず、出会う人の質が変わった。


既にやるべきことがあることをして


安心安定を志している人というよりも、


自分から何かをはじめて、


自由を獲得して自己流で生きている人たちと多く出会うようになった。


私がこの一年間で出会えた人、話せた人、実際には会わなかったけど
影響を与えてくれた人、友好的になった人はこんな感じの仕事をしていた。


執筆家
演出家
芸術家
音楽家
クリエーター
企業家
セラピスト
旅人
登山ガイド
研究者
カメラマン


みんな専門的であるけれどプロなわけでも特別有名なわけでもない。


だけど、一人一人自分の職業を心から愛していて


お金もきちんと得ている。


どこかゆとりのある人ばかりだった。


そして必ずそういう人は


「人との繋がり」


という言葉をたくさんよく言う。



実際、色々な働き方があって色々なやり方でお金を稼いでいる人たちがいる。


という当たり前なのに見えていなかった生き方の選択肢を知った。



自分の好きなことを仕事にする。



“こんな選択肢があるんだ!”



ワクワクの感情でいっぱいになる。



“私の好きなことってなんだろう・・・。”



やりかけなこと、やってみたいこと、


興味を寄せていることはたくさんあった。



だけど、「得意ではない」という自信のなさが


それを自由に追求していくことを妨げていた。



自由でいることは楽そうで難しい。


好きなことを追求することはいけないことではない。


だって、お金や人と比べる生き方を求める心持よりも


好きをとことん極めていくほうが愛が周りに広がるように思うから。


ただそれを難しくさせているのは


今ある社会の常識と


多すぎる情報と


周りからの評価や声っていう


外的な要因によってなんだと思う。


だけど自分の道を知っているのは自分の心の中だけ。


何者になるのかはまだまだ分からないけれど、


好きなことをめいいっぱいやって


愛情を育て広げる生き方をしたいと思った。


まとめ



社会人として未熟の未熟レベルの私であるけれど


自由人として少しづつ生き方を掴めてきた好きを追求し続ける生き方。


毎日、夢や希望を多く語り


愚痴や不満が少ない生き方をこれからも忘れず心掛けたい。


自由に好きなことで働き、生活している人の


生き方をぜひ学びたい!!!!



縛られない生き方を目指す


"じぶん・らいふ”。


新たにはじまった新しい生き方


明日の見えないノマドのような生き方を


多くの人たちと共有していきたい。



おひな

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